2008年1月27日日曜日

家の耐久性は誰が決める?

仕事でオーストラリア人と話をしたとき、家の話になりました。モーゲージの利用方法やサブプライムなどの使われ方の背景はなかなか興味深かったです。死んだ瞬間に財産を使い切るのが最高という考え。※財産を残そうなどとは考えない。家の資産価値が上がれば担保力が上がるので、「もっと借りてもっと豊かに暮らしましょう」となるわけです。死んだら家もいらなくなりますからね。その前提は、やはり家の耐久性。彼の家は125年前に建てられたとか。「そりゃ、お前の国と同じくらい古いじゃないか」と言ったら、笑ってました。シドニー市内、市役所から数キロの所ながら、椰子の木もあるビーチがあるとか。うらやましい限りです。600万人都市だから、都市の作り方、考え方もかなり異なりますね。中古住宅を買う、家を大事にして住まう、というライフスタイルは、海外では当たり前の事です。

ヨーロッパの西南のはずれ、偉大なる田舎町 リスボンの旧市街は、狭い道を車と人が行き交い、下町のようにとても活気があるのですが、街全体はとても落ち着いた雰囲気です。壁の色と屋根の色が統一されているので、眺めがとても落ち着いているのです。家の外観や都市のインフラは、飾り立てたりせず、街のキャンパスとして人間のイキイキした生活を浮き立たせるものになるべきなのでは?と思います。

日本ではなぜ、建ててはすぐ壊すという社会システムにしてしまったのでしょうか?日本の木造民家は「築30年で無価値」とされてしまいます。20年を超えたあたりで銀行は担保として認めてくれませんし、税制優遇もなくなります。最近の200年住宅構想も、新築家屋のみが対象です。環境対策を歌っている割りに、建設促進しているように見えてしまいます。変ですよね?

車検が車の買い替えを促進するように、新築住宅優遇策が日本には存在します。

そんなおかげか、日本人は新車と同じで新築が好きです。築20年は相当な「お古」と受け取られます。新陳代謝が激しいおかげで、どんどん技術が進化します。モデルチェンジを頻繁に繰り返してきた日本車と同じです。新しい家と古い家では形も素材も全く変わり、街並みには統一感が出ません。特に、サイディングが主流になってからは、1軒の家で複数の色使いがされるようになり、街はもう、モザイクのごとくです。

 木造でも、法隆寺みたいに手間をかければ1000年持つのです。耐久性は使っている材料ではなく「何年持たせるか」考え方の違いです。30年後ごとに大量の木を使って建替えるのはエコじゃありません。こと家に関しては中古車のように輸出する事はできません。捨てるだけです。これは果たして正しい事なんでしょうか?新陳代謝して進化している割りにというかそのためか街並みが綺麗にならない。流行で洋服が変わるように家のスタイルが変わる。そして、いろんなスタイルが町に無秩序に氾濫する。なんか、壮大な間違いを犯しているような気がしませんか?私たちの住む家は掘っ立て小屋やバラックじゃないんですよ!

街のグランドデザインを自治体が統率力を持って進め、住宅の新築を抑える方が、街のブランドも上がり、資産価値も上がると思うんですけど。知事や市長が統率力をもって進め、それを指示する熟成した市民が必要。
黒川先生が都知事に立候補したとき、いつかはそんな時代が来るのかと、密かに期待していた私でした。

※これは住宅価格が上がり続ければその通りですが、サブプライムローンは住宅価格が下がり始めたため、途端に破綻した訳です。

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